I 序論2⃣(pp. 24〜40) 担当:Tn

歴史学が、考古学(=モニュメントの内部的記述)を目標としていることによる帰結の三番目

→「包括的歴史のテーマ、およびその可能性が消え去り始め、それとは大きく異なるものとして、一般的歴史と呼びうるものの輪郭が姿を現すということ。」

 

○ここで言う包括的歴史は、「一つの文明の相対的形態や・・・隠喩的に一つの時代の「表情」と呼ばれるものを——————復元すること」を企図する歴史である。

→そして、その企図は、次の仮説に基づく。

  • ●「時間的かつ空間的に明確に定められた一つの区域のあらゆる出来事の間に・・・等質関係を打ち立てることが出来るはずだという前提」
  • ●同じ形態の歴史性が習慣、構造、行動様式を、同じタイプの変換に委ねるのだという前提
  • ●「歴史そのものが、自らの凝集の原理をそれ自身のうちに保持するいくつかの大きな単位に分節化されうるという前提」

 

○上の様な包括的歴史の諸前提を、新たな歴史学(=一般的歴史)は問いに付すのである。
  • ●「問いに付す」ことにより、互いに異なる系列の間に正当なやり方で記述されうるのはいかなる形態の関係であるのかという問題が開かれる
  • →系列はいかなるシステムを作れるか。相関関係、優位感関係はどうなのか。いかなる系列の系列(=一覧表、タブロー)を構成する事が出来るか。

 

 

    最後の帰結

→新たな歴史学が方法論的問題に出会う。

 

 

    新しい、一般的な歴史学は、以下の理由により注目に値する。

○歴史哲学が提起した(たとえば歴史的知の相対性をめぐる議論など)から或る程度まで解放されている
○別の場所(言語学、民俗学など)に見いだされる諸問題と合致する部分がある。

→そして、以下のことを認めれば、それは「構造主義(が直面している問題)と言える。

  • ●それらの問題は歴史という領野の一部でしかないこと
  • ●その問題は歴史学そのものの領野で誕生したものであること
  • 構造主義が構造と生成との間の葛藤・対立を乗り越えるための試みについて語ることを許可する訳ではない事。

 

 

    とりわけ思考の歴史において、歴史学のこうした認識論的変異は、まだ反省されていない。

→その理由は、思考の歴史が意識の至上権にとって、一つの特権的な避難所であるからだ。

○こうした合理性の保護は、精神分析学や言語学の分野で起きた主体性の脱中心化を背景に、とりわけ歴史学の分野で再活性化された。