II 言説の規則性 I言説の統一(pp. 43-62) 担当:Kk

II 言説の規則性

I言説の統一性

 

p.43-62

●歴史的分析に対する理論面での問題提起。

①分散した出来事を連続的なものとして自明視させるような観念からの解放がまずは必要。まずは出来事を分散したものとして扱う

 例)伝統、影響、発達、進化、心性、精神…単に順序的に前‐後であるだけかもしれない出来事どうしの間にそれらを貫く法則や因果関係を見出させるような観念

 ②言説の形態・ジャンルの区別も疑うべき

…カテゴリー分けの基準は時代によっても変化するし、言説を区分けすること自体が言説的事実であって、普遍的な法則ではない

 ③書物・作品の統一性も再考すべき

…こういう条件を持っていれば一冊の本や一つの作品と呼ぶことができる、という条件は決まっておらず恣意的なもの。書物と他の書物との境界は画定されない。

「結び目」:どこからどこまでを結び目と呼ぶのか、結び目はそこで結ばれている紐のうちいずれに所属しているのか分からない。そしてその紐を通じて他のテクストに「送り返し」を行う(この「送り返し」はテクストが別のテクストとの間に関係を有していること、くらいの理解でいます)

 作者名も統一の基準にはならない:どこからどこまでを作品と呼ぶのか?

  作品=作者の思考や無意識や制約が読み取られるもの?

 しかしそれを読み取るのは読者。これも自明のものではない

 ④言説は突然現れるのでなくなにか原因があって生まれる(→遡っていくとその起源に辿り着ける)/も  くは、言説にはそれによって語られなかったことも含まれておりそれが次の言説の拠り所となる、という考えも放棄すべき

  …この考えに従うなら言説は実はもともとそこに潜在していたということになる。そうではなくて、言説が現れるまでそれは存在していなかったと見なし、時間的一回性を持つ事件、事実として言説の出現を扱うべき

 ※フーコーは「一つの作品」とか「他の諸々の書物」とかの言葉を使いながらそれらの統一性を疑っているが、その理由はp.52-53で示される。それらをないものとして考えることは難しいが、それらが不変のものでも自明のものでもないことを明らかにするだけで、見えなくされていた問題が明らかになる。ある土台の上に立つのはそれを問い直すためという姿勢。

  さらにp.57以降ではそれらの統一性が再発見されるとしても、その見直しというのは言表をドキュメントからモニュメントへ再変換するという意味を持つ(下記参照)。

 

●自明視されていた言説の連続性を問い直すと、言説を分散した(≠連続的な)出来事として記述することが可能になる

・これは言語体系の分析のように、限られたサンプルからそれらに一貫している規則を探るものではなく、できるだけ多くの言説を記述し、かつそれらを越えて広がってはいかない。

・またこれは、言説(言表)の背後にある意味を読み解こうとする思考の分析とも異なり、言説が何を意味しているのかを問うこともない。

=言説をドキュメントでなく、モニュメントとして扱う

…そのモニュメント性とは言語体系の分析においても思考の分析においても扱われ得ないもの。

 

こうした問い直しは自明視された連続性という前提に基づく「単なる心理学的な総合」を逃れ、言表どうし、言表のグループどうし、そして言表(のグループ)と他の種類の出来事の関係を把握することにつながる。

…恣意的な、別々の基準に基づく統一性から逃れ、出来事であること、モニュメント性に立ち戻ることで、まったく別のカテゴリーに分類されていた言説どうしだけでなく、言説と他の歴史的な出来事も同じモニュメントとして比較、関連付けできるようになる

 

正しい方法で諸言表を統一できるように

 

●あらゆる前提を否定してはこのような問い直しにとりかかることもできない

→まずは元からある領域を受け入れて、それを適宜修正していく

対象とすべき領域:

①もっとも言説間の関係が濃密ではっきり解読できる領域(=どのように言説間の関係を記述すればいいか、のモデルになる):科学

②言説間の関係が整理されていない領域:問い直されるべき余地が多くある

③言説の主体を対象とする言説の領域:言説の主体を疑うことで誤った統一性から逃れる